German Trainer Original 

ジャーマントレーナー オリジナル 





 伝説のシューズデザイナー 田中清司の急逝。

世界のファッション業界に、靴の新たな価値や可能性を創造。
衝撃的なムーブメントを生み続け、多くのメゾンブランドとのコラボレーション。


田中清司は私の義兄でした。 
私が25歳の時に姉の婚約者として出会った田中清司はまさに「アヴァンギャルド」そのものでした。
初対面の時にホテルのシガーバーに連れて行ってもらった事は今でも鮮明に覚えています。
彼の頭の中は常にファッションで溢れていました。
二人でさまざまなお店に足を運び、洋服と靴の世界について語っていたのが昨日の事のようです。


History

1950年代~1990年代、東ヨーロッパ(主にチェコ、スロバキア、ボスニア)には大規模な靴の製造工場が数多くあり、良質な軍用シューズを生産することで知られていました。

 ドイツ軍は兵士に配給するジャーマントレーナーを、ヨーロッパ各地の靴工場へ入札形式で製造の依頼をし、兵士は配給されたジャーマントレーナーをトレーニングシューズとして使用していました。
 
ジャーマントレーナーは、スロバキア、ポーランド、ボスニア、ポルトガルなど、ヨーロッパ各地の靴工場で作られていたようですが、製造終了後すぐにすべての機材を廃棄していたので、直近のモデルしか残らず、過去に製造していたジャーマントレーナーの詳細は謎のままです。

 
1994年、タナカユニバーサル社の創業者であり伝説のシューズデザイナーとしてすでに世界で活躍していた田中清司が、ジャーマントレーナーを製造し終えた靴工場で廃棄前の機材を発見し、それを基にジャーマントレーナーを作り始めました。

「唯一無二    本物の継承」

Libertéque

私はタナカユニバーサル社でCEOとして、義兄の田中清司とともにジャーマントレーナーを作ってきました。
イタリアのPitti UOMOや東ヨーロッパの工場も訪れ、田中清司が築き上げてきた信頼関係を間近で見てきました。

私はタナカユニバーサル社を田中清司へのオマージュとして心に留め、新たにリベルテーク社を設立することにしました。
東ヨーロッパの工場と話し合い、タナカユニバーサルと同一の機材と同一の素材を使用し、タナカユニバーサルのオリジナルモデルと同一のオリジナルモデルのジャーマントレーナーを継承し作っていくことにしました。


東ヨーロッパの靴工場には長い歴史と高い技術があります。

私は、亡き田中清司が持ち続けた靴作りへの情熱と、靴職人に対する敬意と信頼の心を継承していきます。
 

現在ジャーマントレーナーのオリジナルモデルを商品として製造しているのは、世界中で唯一リベルテーク社のみです。
(2023年4月現在)

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